水の滴る色(20)

2011年11月14日
昨夜の腰痛だのなんだのがあったのか、すっきりしない朝。暗いうちに目が覚めて、もう一度眠って、次に目が覚めたら、喉が痛かった。乾き切った喉。そうだ。僕は眠るとき、どうしても鼻が詰まるから、口を開く。マスクは必須なんだ、と思い出す。
体がなんだか重くて、たぶん疲れているんだろうけれど、ちゃんと休みは取っているんだけどな、と思いながら、準備をして、部屋を出る。
今日もキエフは曇り。結局1日も晴れた空を見ること無く、キエフを出ていくことになりそう。

ゆるい坂を上る。一昨日、キエフの聖ソフィア聖堂へ続く坂道だ。この坂を越えると、初日登ったウラージミルの丘にも出ることが出来る。その丘に出ずに、インターコンチの脇を通り抜け、道なりに坂を下って行くと、アンドレイ坂にでることができる。アンドレイ坂はアンドレイ教会のある坂で、キエフという町が辿った歴史を考えるととても重要な坂になる。この教会はキエフの古都を一望できる丘に建っており、その姿は旧市街のどこからでも見ることが出来る。
この後、旧市街を僕は30分程メトロ駅を探して彷徨うことになるのだが、不親切な地球の歩き方に載っている地図を諦めた後は、この教会の姿だけで方角を把握し、無事、メトロ駅を探し当てることが出来た。
話は戻るが、このアンドレイ教会。今は工事中で、中に入ることは出来なかった。坂も大々的に工事中で、脇道をぎりぎり人が三人並んで歩ける程度の囲いで残しているだけだった。そしてこの脇道に露店がずらりと並ぶ。

この露店、この辺りの人が観光客相手に行う土産屋さんなのだが、キエフの冬はやってきているようで、僕が通ったとき、ようやく家から出て来て準備をしている人もいた。
その露店の1つで、素敵なカップを見つけ、セットで買った。最近、値切る、という行為を全くしなくなった。言い値通りに支払って、それでも16UAHで、日本だったらペットボトルのお茶一本くらいしか買えない。
そのアンドレイ坂を下って行くと、左手に階段があり、それを登ると小高い丘になっていた。坂は途中二股に分かれるのだけれど、その二股両方の光景を見下ろすことが出来た。そして双方、絶壁。

丘、というと、僕は横浜に住んでいた四年間、丘の上に住んでいて、それはもう毎日上り下りで辛い目にあったのだけれど、見晴らしの良さと風通しの良さで本当に気に入っていた土地だった。横浜はいまだに好きになれないのだけれど、あそこは本当に好きだった。
この見晴らしや、下の町のどこからでも見上げることが出来る教会を見ていると、昔、丘という場所が特別な意味を確かに持っていたんだな、と実感することが出来る。盆地に町が出来、平地に町が出来る。それを見下ろすような丘や山に神聖な場所が創られ、そこに次第に権力が集まって行く。
だから人は高い建造物を造りたがるんだろうか。
そんなことを思いながら、でも、それは道に迷ってかき消された。迷ったおかげで立ち寄るはずだった博物館も見つけられず、見逃してしまった。

結局、当初乗る予定だった駅よりも一駅中心部に近い駅からメトロに乗る。
メトロに乗る、という行為はほんとうに都市的な行為だと感じる。黙って乗車券の金額を駅員に差し出せばトークンが渡され、それを改札に入れれば乗れる。路線は色で塗り分けられ、駅名は番号がついている。言葉や慣習が違えど、どこの国も同じで、システムさえ知っていれば乗ることが出来る。会話の無い乗り物。それに慣れてしまっているんだな、と、ほっとした瞬間に思う。
都市をずっと撮ってきた。都市をずっと旅してきた。僕はほんとうは都市が好きじゃないんだ、ということを、旅を重ねる度に実感してきた。その一方で都市の便利さに慣れ、田舎の村に滞在すると不便を感じたりもする。それを不便だ、と思ってしまう自分がいる。そこに入り込んでいきたい、と感じるようになったのは、もうこの3年ほどのこと。

宿に帰り、銀行に行き直す。銀行ではここではちょっと書けないような出来事があった。おかげで再両替ができて、僕は助かった。都市に来ても、こういう時に、都市にいる人でも誠意を持って接すれば優しさは受け取れるし、それに優しさを持って返したいと感じられる。キエフ最後の夜にすごく暖かい笑顔を交わすことが出来た。
いつものお店で夕飯を済まし、部屋のある坂道のふもとの薬局でマスクを買い(5枚入りで80円だった)、部屋に戻り、読書をする。洗濯をする。紅茶を飲む、風呂に入る、筋トレをする、読書をする、日記を書く。
いつも通りのことでいつも通りに夜が更けていく中、ネットが直らなくなった。困った挙げ句、全て再起動して、今待っている。これがアップされていたら直った証拠。
明日からドイツです。ドイツも寒いんだろうな。