PhotoLog:FutureLightProject「そして、今」

母校のプロジェクトであるFutureLightProjectの写真展に行ってきた。
感想を書く。

 以下感想 

横浜駅から渋谷駅までJR線に乗っている間中、「写真というメディアが担える事柄」について考えていた。

 写真がアートの中心として重要な位置を占めるようになってきていて、そうした中で「美術」の枠組みの中に写真が大きく組み込まれてくるようになった。「芸術」という広い枠組みではなく、「美術」の中に写真というメディアの可能性がぐんぐん拓かれていって、そういう写真にばっかり触れていたのもあって、このプロジェクトが抱える写真という「現実性」とか、「意味性の強さ」というものが新鮮に感じた。そもそも僕ははじめはそっち側にいたはずだったし、今でもそうだと思うのだけれども。

写真が広告や記念写真や報道や遊びや学びや、その他様々なところで使われる中、「展示する」ということの意味が今は問われる時なのだと思う。デジカメが主流になり、右クリックでコピーが出来るし、Control+C,+Vでコピペが出来るし、そういう中で、写真というもの、映像というものがありふれたものになった以上、身体体験というものがどうしても不可欠になるんじゃないか、という過程の末にできた現状なんだろう。

 そう考えていくと、今回の展示の目玉は5階にポールを並べて、ぐるっと観者を取り囲む気仙の写真だろう。

 光景というものは、眼球によって制限されている。視界の角度はだいたい60度弱程度しかなくて、その視界の外側にあるものを見ようとすると、その元々視界に入っていた光景は視界の外へ消えていく。更に、その光景に近づこうとすると、その視野は相対的に狭くなり、ディテールを求めるがあまりマクロな風景はやはり見えなくなる。

 この首の動きと足の動きを一時停止させ、光景を焼き付けたその世界を、近づいて見ることが出来る。視角と距離とを体感するインスタレーションだった。興味深かったのは、左端と右端は本当は観者の背中の位置で接合するように撮られていて、その360度の光景を平面に表した上で、アナログ的に立体に仕上げていた点だ。360度囲ってしまうと物理的に難しくなってしまう故の展示の形式なのだろうが、これが絶妙だった。この視角と距離とを体感する広大なインスタレーションの中に気仙沼の風景がおさまっていることが意味深い。
 ポートレートは淡々としていて、でも人々の表情から、どこまで入り込んでいるかがわかりやすいシンプルな構成だった。ルポ、という形式を6階で体感して、5階で表現に触れてきた、とでもいうのか。非常に濃い内容の展示。

 そもそも、「ルポをしに現地に行く」という行動が意味深くて、その意味の先に出てくる形式がどう、というのは空論のようなもので、そう捉えてしまえば、本当に僕の感想なんてたいしたことはないのだが、そのルポを観に行く、ということでひとつの達成感を与えてくれるような展示だった。