水の滴る色 (1)

2011年10月25日

明後日、日本を昼頃発つ便でアゼルバイジャンへ向かう。
また写真を撮る旅を始める。

秋が深まり、その深さを秋の始め、十月の中旬に奥日光で感じた。
奥鬼怒林道の色づき、光のシャワーに溜め息をもらし、空気の冷たさに息を白く吐いた。あの水辺は真冬ともなれば凍ってしまうのだろうか。
樹々の肌理にもこけがむし、息吹を感じるけれど、きっと深い雪に閉ざされる真冬、あそこは真っ白な世界になるんだろう。

僕はこの孟秋のいくつかの光景を忘れない。
滴る雨粒、コーヒーの匂い、小麦粉とオリーブオイル、手を湿らす汗、電車の冷たい冷房、金沢の公園で向き合った表情、深緑、霧雨のような雨の最中の吊り橋、白川郷の冷たい雨、高速道路の上でのワイパー、ガソリンの匂い、香水、その樹々のゆらめき、水辺の美しさ、銀の色。

僕は毎日のように車に乗って隣町へ出かける。その町でこどもたちと話し、その笑顔に眼を細める。
僕は日々、笑顔を見たい、という一心で車のハンドルを握る。手を振る笑顔にはにかむ。

ある友達は、その充足感が、心の引っ掻き疵でも気付くくらいに落ち着いているんじゃないかと言っていた。
僕は今、とても不安だ。
なんともいいようのない胸を締め付けられる感覚が断続的に続いている。
それを高揚感につなげられればいいけれど、今は死にたくもないし、そんな覚悟は要らないと知ってしまった。

1日1日と、その日が近づく。
覚悟を決めて今まで旅をしていたわけではなかったのだと思い知る。
僕は覚悟をするようなものなど持っていなかったのだと思い知る。
死を思い、覚悟するくらいなら、泥臭くてもいい、生きたいと、生きることを考える。

明後日、僕は日本を発って、大陸の国々を歩き回る。
その間、この日本語という言葉を忘れないように、ただ、つらつらと、思いつくままに言葉を並べていく。それを日記として。