水の滴る色(19)

2011年11月13日

今朝目が覚めたら、腹を下していた。今回の旅の中でいちばん酷い。最初、コレラとか赤痢だったらどうしよう、と焦ったけれど、症状的に、ガストロっぽい。ここ数日間の間に全く思い当たる節が無いあたりからも、潜伏期間とか考えても実際にはなにが原因かはわからないけれど、たぶん、ガストロ。要は食中り。
水分多めに摂って、胃腸薬飲んで、胃腸に負担のかかる食べ物は極力避けて、行動しました。

予定通り、ペチェールスカ大修道院に向かう。今日は日曜日。ミサだ。案の定、午前中とはいえ、独立広場のあたりは閑散としていたのに、そこから地下鉄で一駅南下しただけの(とはいっても、この地下鉄一区間はとても長い)、なんもない通りは人が多く往来していた。
地図の通り、アルセナリナ駅を出てすぐ左側に歩き出し、てくてく歩く。
今日は寒い。モスクワより寒いんじゃないか、と思うくらい寒かった。油断してふつうに来てしまったけれど、ジーンズの下にレギンスをはいてくればよかった、と後悔した。明日は、暑くてもはいてこよう。
駅から10分程度歩くと、大きな公園に出くわす。入り口に「1941-1945」と書かれているところからも、第二次世界大戦没者の慰霊碑だとわかる、大きな塔。炎は絶えず掲げられていて、子どもがおじいちゃんと一緒に参拝していた。こうやって人々の心の中の信仰は、帰依は、受け継がれていく。そんなことを思った。曇り空、冷気の雲の下。

その慰霊碑のあたりは丘になっていて、ドニエプル河を眼下に見下ろすことが出来る。その風景、広さ。この河がこの地に歴史を刻ませ、この街を作り上げた。多少の差はあれど、変わること無く流れる河面に、宮本常一氏の「自然は寂しい。しかし人の手が加わると暖かくなる。その暖かなものを求めて歩いてみよう」という言葉が浮かんだ。
この雄大な自然の中に人々が街を築き、歴史を刻み、記し、今、瞬間瞬間が過去になっていく時間の矢印の先に、立っている。立って、その降りしきる時間を浴び続けても変わること無い景色を、眺めている。
自然の風景は、景色はそれだけで自足しているから、人が介入していっても、それは不完全さを増させるだけだ、とずっと感じていて、今でもそれは感じているし、その目の前で自分の姿を写真に写すなどとても卑しい行為だと感じてしまうのだけれども、こういう、歴史とか人の手が加わった景色の中に人が映っているのは、なんだか暖かい気が、してくる。

自然を考える際に、人の手が全く加わっていない自然など、本当に限られた場所でしか観ることはできないのだけれども。

その公園を抜けるとペチェールスカ大修道院は見えて来る。
券売所で、入場料の25UAHを支払おうと200UAH札を出すと、お釣りが50UAH足りないという。足りなくて、券売所のおばちゃん、困っちゃう。困惑して、自分の財布を開けるけれども、入ってない。もーお手上げ!という顔をされ、ぼくはポケットに入っていた有り金全部出してみた。そこには10UAH札2枚と、1UAH札2枚。コインがまばら。それを見たおばちゃんは、「学生?学生でしょ?」と。僕がそうだ、と答えると、「学生は12UAHだよ」と安心し切った顔で言い、200札を返して、12UAHを受け取った。およそ130円。僕が学生証を出そうとしていると、「いい、いいよ。出さなくて良い。はい、チケットね」と言って笑顔で入り口を指し示してくれた。
キエフの人達は、寒さで顔は強張っているけれど、話した途端に頬がゆるむ。その笑顔に一気に和む。

この大修道院は1051年から歴史を刻んでいる。残念ながら、鐘楼は工事中で登れなかったけれど、ミサに立ち会うことが出来た。1つ目の主聖堂で祈りを捧げる人々や、懺悔をする人の姿を見、ここに信仰の姿が強く息づいていることに、なんとなく安心した。
それから美しい聖歌に誘われるように、トラペズナ教会に入ると、さっきよりも多くの人達が祈りを捧げ、しきりに十字を切っていた。僕は圧倒されるばかりで、歴史とはこのように刻まれて行くのだ、と感じた。

敷地にはこんなオブジェも。
やっぱりこのカラーたまごがウクライナではお土産になるのでしょか。

下の修道院はちょっと割愛して(街の撮影がしたかった)、街に戻ったはいいけれど、階段でこけるわ、朝の腹痛がまた押し寄せてくるわで、慌てて部屋に戻った。街の中心部から部屋が近くて良かった。
で、部屋に戻って一息ついたら、今度は立つのも辛い程の疼痛が腰を襲う。もう勘弁して…。

おかげでやまいちは、その後部屋から出られず、この時間になってようやく腰が落ち着き(お腹はとっくに落ち着いてしまった)、七時になるとさすがに億劫で、もうこのまま今日はゆっくり過ごそうと決めた。
明日はのんびりと歩き回り、やっぱり夕方前には帰って来ようと思う。夕方って言っても3時にはだいぶ暗くなるから、お昼過ぎ、だけれども。